◆舞台を鑑賞する女性、それを男性が
全国約150の公立美術館でつくる「美術館連絡協議会」(事務局・読売新聞東京本社)と読売新聞オンラインが発足させたプロジェクト「美術館女子」が批判を浴び、当該サイトが先日閉鎖された。女性アイドルが「各地の美術館を訪れ、写真を通じて、アートの力を発信していく」という趣旨のサイトだった。
◆無知な観客役に
いわゆる自撮りや女性が撮影した写真が見られるのかと思いきや、美術作品を背景に女性アイドルを撮影した写真が並べられていた。サイトを見て、女性アイドルを「鑑賞者」ではなく、「被写体」という「見られる存在」に押し込めていると感じた。なぜなら、彼女が美術作品と向かい合う写真がほとんどなかったからである。そして写真には、「芸術って難しそうだし、自分に理解できるのかな」「知識がないとか、そんなことは全然、関係なし。見た瞬間の『わっ!!』っていう感動。それが全てだった。」という言葉が添えられていた。
実際の美術館への来館者には多くの女性がいる。それなのにこのサイトでは、無知な観客役を女性に演じさせる無意識の意図が透けて見えた。
◆美術界も男性中心
写真に限らずあらゆる「表現されたもの」は、現実そのままを切り取ってはいない。それを制作した側やそれを好ましいとする社会の欲望や価値観の写し鏡なのだ。アーティストとモデルの関係が分かりやすいが、男性を「見る側」、女性を「見られる側」に置く構造があり、それは男性を創造する側、女性をその素材とする文化システムにつながっている。女性とは何かを創造する存在ではなく、ただの素材としてその身体を提供する側の人間とみなされた。そうした構造を維持・強化する無言の圧力に、私たちの社会の中にある「女/男はこうあるべきだ」という価値観が手を貸してきた。美術界のジェンダーバランスを考えたとき、大学教員は男性が大半で、美術館の収蔵作品には女性作家より男性のものが多く、学芸員は女性が多いにもかかわらず館長は男性が多いことがすでに指摘されている。つまり一般社会と同じように、美術界全体が基本的に「男性の世界」となっているのである。彼らの価値観に沿って作品は選ばれ、展示され、普及していく。すなわち「美術館女子」は、こうした非対称なジェンダー構造そのものが生み出した現象といえる。
◆140年前からの挑戦
カサットが不均衡なジェンダー構造を作品に描き留めてから、140年が経過した。文化を創造する側であろうと努めたこの女性画家は、男性の不躾な視線にさらされる若い女性を、ただの素材として描くことはしなかった。女性にオペラグラスという能動的に鑑賞するための道具を持たせて「見る側」に置いたのである。この「挑戦」がいまだ有効であることを非常に残念に思う。
「美術館女子」というプロジェクトは、「アートの力を発信していく」とうたっていた。アートの力とは何か。それは既存の価値観をなぞることではなく、カサットが示したように、世界と向かい合う新しい視点に気づかせることではなかっただろうか。
(きら・ともこ=美術史・ジェンダー史研究者)
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